Call of Venture ベンチャーの呼び声

スタートアップ企業で働く1人の若者。テック系スタートアップブログ。

ぼくのミニマリスト全盛期を振り返る。

僕は過去にかなりのミニマリストでした。今でも持ちモノは少ないのですが、ミニマリストというほどでもありません。

 

僕にとってミニマリスト期は、人生の底辺をただよっていた時期でもありました。(もちろん、今でもそれなりに底辺です。)

なんだかんだ大変な時期ですが、どんなに失敗して落ちぶれても、このラインまでなら元気でやっていけるぞ、というのを忘れないうちに、当時の暮らしぶりを書き起こしておきたいと思います。

 

住んでいたところ

当時、僕は寝泊まりできる所が3か所ありました。

1つは学生寮、もう1つは他人の家、もう1つも他人の家です。

学生寮は親が払い、他人の家はそれぞれ持ち主が家賃を払っていたので、僕の負担額はゼロでした。

 

メイン宿であるところの他人の家Aは、宿主が別宅に住んでおり、僕は一人暮らしをしていました。水道、ガス、電気はやはり宿主が払っていたので、僕の負担額はゼロです。

 

風呂はついておらず、トイレは共同、紙は持参でした。

風呂は銭湯か、近所にある他人の家Bで借りていました。

 

着るもの

服は2着しか持っていませんでした。

  • 普段着る服(デニムパンツと適当な上着)
  • 洗濯中に着る服

の2着です。

いつも同じ服を着ていました。こう言うと、臭いだとか不潔だと思われるでしょう。ですが、そもそもデニムはたまにしか洗わないものらしいんですよね。僕も汚いんじゃないかと思う気持ちはもっていましたが、ファッション界のエライ人も言ってるのでしかたありません。

匂いについては、消臭剤を小瓶に詰めて使っていたので無臭でした。

 

肌着は速乾性の衣類を着用し、寝る前に石鹸で洗って干し、乾いたモノを朝着るようにしていました。

 

洗濯中に着る服は、持ち運びの観点から年中半袖だったので、冬は寒かったと記憶しています。

 

食べ物

食べ物はごく普通です。

コンビニでカロリーパフォーマンスのよい菓子パンを食べるか、パスタを茹でて食べていました。もしくは先輩にご馳走になっていました。

パスタは、ソースを作り置きしておくと急にコスパがよくなります。濃いめにつくると良いです。既製品で味をつけるなら、お茶漬けの素とお湯を注いで食べると安くあがります。

聞くところによると、お好み焼きもコスパに優れるらしいです。

 

ちなみに、もっともコスパに優れる菓子パンは、チョコスティックパンでした。

 

持ち物

持ち物は、「開くPCバッグ」に入るモノで全てでした。

拠点が複数箇所あると、自然と必要なモノだけを持ち歩くようになります。拠点ごとに一揃いずつ買うのがもったいないなぁと思うからです。僕がミニマリスト化した理由でもあります。

具体的に持っていたのは

  • Mac Book Air
  • スマホやPCの充電器
  • 洗濯中に着る服(半袖上下)
  • 肌着一式
  • 小瓶につめた消臭剤
  • スイムタオル
  • 手ぬぐい
  • 石鹸
  • 防災用アルミシート
  • コンタクト用品
  • メガネ
  • S字フック
  • 紐の伸びるキーホルダー
  • 自作のエチケットボックス

以上です。(思い出せる限りでは)

 

スイムタオルは絞ることでなんどでも濡れた体を拭けます。ただし、きちんと乾かさないと臭くなりやすいです。手ぬぐいは速乾性に優れており、スイムタオルとの使い分けで重宝しました。

 

石鹸は、体を洗うのにはもちろん、衣類を手洗いするのにも役立ちます。タッパーに入れて持ち歩いていました。

 

防災シートは、体にまくと暖かいという効果があります。なぜか野宿に備えて用意していましたが、使用されることはありませんでした。2枚あり、体に巻く用と、下に敷く用を想定していました。

 

S字フックと紐の伸びるキーホルダーは、組み合わせることで簡易物干しになるというものでした。これにより、洗った下着をどこでも干すことができました。

また、デニムパンツのベルト通しにS字フックを引っ掛けることでハンガーの代わりにもなります。

 

自作のエチケットボックスは、常備薬、手鏡、カミソリ、爪切り、耳かき、耳栓などを入れていました。

これは非常に便利で、今でも使用しています。

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帰省や旅行にこれを持っていくと、細々したところで困ることはほぼありません。

 

まとめ

というような感じで、わけのわからない試行錯誤がされていました。ミニマリストよりは、サバイバルに振れているような気もしますね。

この頃の僕は、決まった職もなく、学校にもいかずにプラプラしていました。学生にせよ社会人にせよ、普通は日々通うところがあるはずです。そうなると、このような装備で生活するのはかえって非効率でしょう。

しかしこの頃の僕は、本当にどこでも寝て起きて、しぶとく生きていくことができる人間だったと。

その日のことを忘れずに、日々坂を登っていきたいなと思う次第です。